自動車関連精密部品製造の株式会社片桐工作所

片桐製作所

80周年への想い

80周年への想い

1937年に創業して以来、確かなモノづくりでニーズに応え続ける片桐工作所。
確かな量産体制のもと、つねにチャレンジ精神を持って時代の波を乗り越えてきました。
80周年を迎えた今。これまでの歴史を振り返りつつ、未来への想いを代表 片桐が語ります。

片桐工作所の歴史は、町工場から始まった。

当時工場で稼働していた木製のプーリー(滑車)

金属加工の職人だった祖父は、一人前になったことを機に独立。1937年に金属加工業を町工場として始めたそうです。

祖父が幸運だったのは、日本特殊陶業さんの仕事を請け負っていたことでしょう。
信頼を培った結果、独立してから6年後には日本特殊陶業さんの協力工場として指定されました。
結果、職人さんを中心に60名ほどの従業員を抱えていたと聞きます。

ちなみに戦前の部品づくりは、今のようなオートメーションではありません。
回転させた円柱状の材料に刃ものを当てて、一つひと つ削っていく、とても手間のかかる作業でした。
また町工場では部品を大量生産するため、このロクロ作業(旋盤の原型)を一人で扱い、かなりの量をこなす必要がありました。
だから、それなりの人数が必要だったということです。

高度成長期の波に乗り、事業は順調に進んだ。

戦後、生産拠点を名古屋市瑞穂区洲雲町に移します。
日本は高度成長期に突入し、3種の神器(テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)の普及をはじめ、自動車の需要が伸びていきました。

当時、工場では自動車関連部品を手掛けていたこともあり、工場を増設するほど景気が上向きになったといいます。
そのまま勢いに乗り、法人化へ。紆余曲折の末、1972年には株式会社片桐工作所に組織を変更。
この時期には、私の父が社長として会社を切り盛りしていました。

高度成長期とモータリゼーションの勢いに乗って、会社は成長していきました。
しかし、その後に訪れた第一次石油ショックや円高不況の影響もあり、少しずつ景気が低迷。片桐工作所の業績も停滞していったのです。

1980年代後半、千載一遇のチャンスが訪れる。

事業が伸び悩んでいた1980年代の後半に、大きな転機が訪れます。
お付き合いのある日本特殊陶業さんから、「鹿児島に工場をつくらないか」とお声が掛かったのです。

当時、日本特殊陶業さんは、鹿児島に世界有数規模の工場を稼働させていました。
そこで片桐工作所も鹿児島工場をつくることで、生産体制の効率化を図りたい目論見だったのです。

私はこの話を聞いて、「千載一遇のチャンスだ!」と思いました。
本社工場は、町中にあるため増設ができず、増産もままならない状態でした。

それなら鹿児島の工場で、盛り返せばいいじゃないか。
そう思った私は単身で鹿児島に赴き、片桐工作所の「宮之城工場」建設に乗り出すことにしたのです。

不景気にもかかわらず、「宮之城工場」は好調。

「宮之城工場」のお話しをいただいたのが1987年10月頃でしょうか。
単身で鹿児島に赴いた私は、孤軍奮闘の末、翌年の6月には操業開始と異例の速さでことを進めていったのです。

当時、まだ円高不況のあおりで、世の中は不景気でした。
当然ながらどの中小企業も活動は控えめです。
打って変わって積極的にうち出た「宮之城工場」は、順調に業績を上げていきました。

製品の単価を安く、大量に提供する。
社長である父の考え方を全うしたことで、波に乗ることができました。
さらに自動車のトランスミッションやプリンター部品など、これまでにない製品を扱っていたことも追い風になったと思います。
「宮之城工場」では本社工場ではできなかった24時間シフトも導入し、フル稼働体制で進めました。

こうした結果、1990年には第二工場を建設するまでに規模が拡大。
操業時9名だったスタッフは、20名を超えるほどになりました。

24時間シフト導入でフル稼働体制の「宮之城工場」

お客様と共同開発で、「冷間鍛造」に着手。

さらに1980年代は、片桐工作所にとって「技術開発」の創成期でもありました。
その原点となったのが、アルミ冷間鍛造の共同開発です。

当時、お客様の生産技術部では、アルミ製品の旋盤加工から塑性加工へとチェンジを試みているときでした。
理由としては、手間がかかりムダの多い旋盤加工から、省資源・低コスト化が可能な塑性加工へと変えたかったからです。
そこで当社との共同開発にて、塑性加工の手段として「冷間鍛造」に着手しました。

お客様の図面をもとに、現場でどのように再現するのか。
まさに経験値、技術力が試される状況でしたが、紆余曲折を経て「冷間鍛造」に成功。
なお、アルミ製品における「冷間鍛造」技術は、なかなか真似することができない高度技術でもあります。

輸出の増加に伴い、国際規格ISO9001を取得へ。

1990年代に入ってからは、円高による輸出競争力の低下等を背景に、大手企業が海外へ進出する機会が多くなりました。
同時に、生産コストが低い海外工場へと移転が急激に進んでいったのもこの頃でしょうか。
その流れを受けて、片桐工作所では「海外工場への輸出」が増えることになったのです。

これまで国内では、確かな品質で提供していた片桐工作所。
やはり海外でも、確かな品質で供給するべきではないか。
そう考えた末、品質管理および品質保証に関する国際規格であるISO9001の取得に向け動き出しました。

「先走りではないか」とのお声もいただきましたが、お客様からの信頼を得るには重要だとの考えから取得を推進。
1999年には、宮之城製造部がISO9001認証を取得することができました。
さらに2005年には環境管理システムの規格であるISO14001を取得するまでに至り、企業としての社会的責任を果たすに至るのでした。

ISO認証

生産体制を整えるため、本社工場を移転。

スマートファクトリーを目指して。本社外観。

1990年後半から2000年前半にかけて、おかげさまで「宮之城工場」順調に業績を上げていきました。
その一方で考えていたのが、名古屋市瑞穂区洲雲町にある本社工場の扱いです。
当時、町中にあったため稼働は10時間くらいが限界でした。
生産性をあげるなら、宮之城工場と同様に24時間体制にするべきだろう。
そんな考えから、2004年に現在の地(愛知県知多郡東浦町)へ移転を決意。
同時に工場を新しくするうえで、職場環境も大きく変えたいと思っていました。

モノづくりにおいて、「人」は重要な存在です。
昔の工場のように油まみれな環境では、勤労意欲が低下し、よりよい製品づくりができなくなります。

そこで新しい工場では、空調管理された室内環境、できるだけ油まみれにならないようにするなどに配慮。
工場の施設デザインもスタイリッシュな仕上がりに心がけました。

こうして目先の生産性ばかりを追うのではなく、品質向上に大きく影響する労働環境にも気を配ったのが、現在の片桐工作所です。

現状に甘んじることなく、今後も挑戦していきます。

時代が変わるごとに、技術もどんどん進化していきます。
それに伴い、私たちが提供する精密部品にも、高いレベルの精度や品質が要求されます。
だからこそ、現状に甘んじることなく、絶えず自社の技術を高めていかなければなりません。
この姿勢を貫くことで、結果的にお客様にご満足いただける製品が提供できると考えています。

今後の展開として考えているのは、新素材の製品づくりにもチャレンジすることです。
また、製造現場に女性スタッフもどんどん受け入れ、職場の活性化へとつなげたいと意気込んでいます。

これからも進化していく片桐工作所にご注目ください。